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韓信の股くぐり [ためになるお話]

韓信は中国の秦末期~前漢初期にかけての武将、劉邦配下の三傑の一人。貧乏で品行も悪かったため職にも就けず、みなに見下されていた。ある日、「お前は背が高くいつも剣を帯びているが、実は臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。出来ないならはおれの股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲のものは大いに笑ったという。韓信は「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していた―

大志を抱く者は小さな屈辱に耐えねばならない、ということわざとして用いられます。子どもたちには、少々のことは我慢をして大きな事につなげて欲しいと言う思いで、紹介しました。

20110128.JPGさて、1/28の子どもべや伏尾台教室では、初めて教室に体験に来てくれた子と一緒に「ぐるぐる画法」をしました。自分の気の向くままにぐるぐると画面いっぱいに手を動かすだけの簡単なワークですが、そのなかに自分の気持ちを発見したり、集中力を高めたり、イメージ力をアップさせたりと、さまざまなアートセラピー効果が潜んでいます。出来上がった作品には「ゆめ」「にじ」「天使」「虹色花火」などの題名をつけてくれました。

おじいさんのランプ [ためになるお話]

新美南吉(にいみなんきち、1913-43)をご存知でしょうか。教科書にも載っている『ごんぎつね』や『てぶくろを買いに』で知られる童話作家です。先日の子どもべやで、彼の代表作の一つ『おじいさんのランプ』から、一節を紹介しました。

ojiisan-no-lamp.jpg『おじいさんのランプ』は、中部地方のある村で、明かりが行燈(あんどん)→ランプ→電気へと移り変わっていく頃の話。孫の東一がぐうぜん納屋から引っ張り出してきた古いランプを前に、本屋のご隠居さんがある昔話を語って聞かせます。

田舎の村で育ち、薄暗い行燈の光しか知らなかった巳之助少年が、初めて町へ出た日、夜でも昼のように明るいランプの光に驚嘆し、ランプ屋として身を立て成功する。彼は身寄りがなく貧しかったので、ろくに学校にも行けなかったが、ランプのおかげで夜でも勉強できるようになり、大人になってから読み書きも学んだ。しかし、時とともに、より明るく便利な電気の時代がやってきた。巳之助は、負け惜しみから電燈をさんざんけなしてみたけれども、どうやってもランプは電気に抗えないと悟ったある日、50個ほどもあった手持ち在庫に火を灯し、池のほとりの木に残らずぶら下げると、泣きながら一つ、また一つと石を投げつけて壊していった・・・

そうして唯一、巳之助じいさんの手元に残ったのが、東一の見つけたランプでした。おじいさんは言います。

「わしのやりかたはすこしばかりばかだったが、わしのしょうばいのやめかたは、じぶんでいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。わしのいいたいのはこうさ、日本が進んで、じぶんの古いしょうばいがお役にたたなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。・・・じぶんのしょうばいがはやっていたむかしの方がよかったといったり、世の中の進んだことをうらいたり、そんな意気地のねえことはけっしてしないということだ。」

次々に新しいものが出てきて、生活が激変する文明開化の時代、人々は長く慣れ親しんだものと、ある時は積極的に、ある時は惜しみながら決別し、新しいやり方を採用していきました。行燈を捨て喜々としてランプを取り入れた巳之助も、電気の時代の到来をスンナリ受け入れることはできませんでした。

新美南吉初の、(そして生前唯一の)童話集『おぢいさんのランプ』が出版されたのは1942年、第2次大戦のさ中です。そして、巳之助じいさんの体験は、日露戦争の時分(1900年代初頭)という設定。時代背景を反映してか、物語には日本男児の心意気といったような言葉も目につきますが、一つの何かを捨て、別の何かを取るとき、人が感じる心の痛みや葛藤は、時を超えて普遍的なものでしょう。生まれた時からモノは何でもある今の子どもたちに、100年ほど前の日本の風景や人々のくらしと併せて、インパクトを与えた模様。後戻りできないであろう変化の波に直面したとき、自分はどんな決断と選択をするのか―そんなことを考えるきっかけになればと思います。

2011.1.21 子どもべや伏尾台教室にて

米一粒 汗一粒 [ためになるお話]

今回のためになるお話は「米一粒 汗一粒」です。
米の一粒は、それを作った人の汗一粒に等しい。米を作るには大変な苦労がいる。

この言葉を投げかけたとき、「全くわからへん」という子もいましたが、「分かるわかる!お米一粒に7人の神様って教わってるから、一粒も残さず食べるようにしてる。」と食べ物を大切にする気もちをしっかりと身につけている子もいて嬉しく思いました。そして教室の終わりの方、1人の子が持参したお菓子をみんなに分けてくれるときの出来事。自分よりも6歳ほど年少の子に対して、「~ちゃんは小さいから先に選ばせてあげる。どれがいい?」と年下の子を気遣う場面がありました。これも異年齢集団のよい一面ですね。

製作中の絵本のテーマは「こんなことをしているとき、私はご機嫌!」。
すっと描き始められる子、あれこれ思い悩む子、まだまだこれから自分を知るテーマと向き合います。

2010.10.1(金)子どもべや伏尾台教室




同じ心ならん人と… [ためになるお話]

同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。―『徒然草』第十二段より

(自分と心を同じくするであろう人としみじみ語りあい、興味深いことも世の無常も包み隠さず話し、慰めあうことこそ喜びである。しかし、そんな人がそういるわけではないので、相手の意と少しも違わないようにと気を遣って向かい合っていると、ただ一人でいるような気分になる。 )

本日のお話は、学校で習う古典の代表格『徒然草』から。「同じ心ならん人」を得ることの難しさ、神経をすり減らす人づきあいの煩わしさ…大人なら誰しも経験していることでしょう。さて、子どもはどうでしょうか。

「みなさん、親友はいますか?」の問いに、「親友ではないけど、友だちはいる。親友と呼べるかどうかは分からん」「相手が(自分のことを)親友と思ってても、自分はそう思ってないこともある。その逆もある」etc.

小学校高学年ともなると、互いに深く理解し合える友を求める気持ちが強くなります。「友だち」はともかく、「親友」となるとハードルが高くなるようです。自分と相手の気持ちが完全に一致することはなかなかないということも、経験的に知っているのですね。

P1030814.JPGさて、本日のテーマは、前回に引き続き、「自分にであう絵本」づくり。今日は表紙を仕上げました。各自タイトルを決めて、フェイスペインティングを施した顔写真をレイアウトし、それぞれ楽しい表紙が出来上がりました。次回から、いよいよ中身づくり。どんなMY絵本ができあがるのか!?乞うご期待。

2010.9.17 子どもべや伏尾台教室

ちぎれても錦 [ためになるお話]

2学期はじめての子どもべや(伏尾台)でのためになるお話。

細かに切れても錦の布は美しい。
質のよいものは古くなってもそのよさを失わないということの例え。

「美しい錦の織物のような心をつくっていって欲しい」と伝えましたが、
「錦」というものを教室の子どもたちは知らなかったのです・・・

「晴れ着の帯や、位の高いお坊さんが身につけているよ」というと、恒例のらくがきには
お坊さんの拝んでおられる姿が・・・
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2010.9.3(金)子どもべや伏尾台教室

泛駕の馬 [ためになるお話]

『泛駕(ほうが)の馬』

轍(わだち)に従わずに走って、車を覆す馬のこと。
優れた才能や学識があり、常軌常道に従わない英雄豪傑のたとえ。
「泛」とは「くつがえす」の意。 

大人たちから、「従順な良い子」として生きることを求められることが多い日本の子どもに、心の底に確固とした自分の考えや見識を持っているならば、時には常識的でないと思われる行動をあえて取ることも大切なことを伝えたかった。

Mちゃん(小5)が説明の途中で、「あ、私この言葉の表す意味分かった」と言いながら、うなづいて聞いてくれた。最後に私の説明で、より納得した様子。他の子にも伝わったようだ。

理事長 小村チエ子
2010.6.4 子どもべや伏尾台教室

強き木はむず折れ [ためになるお話]

「強き木はむず折れ」
かたく強い木ほど強風などにあっけなく折れやすい。

子どもにとっては、むずおれという表現がちょっとおもしろいようです。

「では、反対にどんな木なら強風にも耐えられるのだと思いますか?」
「柔らかい木!」
「そのとおり。やなぎは風にしなふ、という言葉もあるのです。」

人間の心もこの言葉のように、柔軟さが必要ということをお話しました。
いつの間にか子どものイラストが入っていました!
P1030314S.JPG
2010.5.28(金)子どもべや伏尾台教室

黄金刀も乞うてみよ [ためになるお話]

 黄金刀のような高価なものは、欲しいといったところで手に入らないだろうと、はなから諦めてしまう人が多い。しかし、物事の結果はやってみないとわからないもの。最初から諦めず、どんなものでも乞うてみることだ。

 この「黄金刀も乞うてみよ」のお話しは、いくらか子どもたちの関心を誘ったようだ。

 「お話しがイメージできますか?」と問いかけると、数人が黄金刀とは、キラキラした素敵な刀とか、高価な物と返事が来た。 言葉を記録するためにメモ用紙を取り出した子もいた。彼らにとって興味ある内容であれば、言葉の難しさや古臭さと関係なく聞いてくれると確信できたひとこま。

この日の教室活動では、水彩絵の具の使い方、特に水を多く含ませて描く淡彩の用法と塗り重ねをする場合との効果の違いを明確にしたかったが、公園にスケッチにでかけたこともあり、淡彩の説明と体験のみに終わった。

 今年の4月から、事務局が教室の応援に入ることになり、結果として絵画の指導者のみでなく、多様な意見が耳に入り担当者の私としては、新鮮な刺激を受けることが多い。
 
 さてこの日、子どもの描画から表現することの本質を実感する経験をしたので紹介したい。

0507K1S.JPG 教室近くの公園に子どもたちと、スケッチの場所を求めて出掛けた。するとブランコ後方の南西の角にあった大きな柳の木が切り株になっていた。
 「あれ、あの木がなくなっている、あの木は楽しかったのに、ブランコをしながら葉っぱをこんな風に触ってね、ああどうしたのかしら…」と一人が悲しみ嘆息するのだ。
 彼女の心に、この場所にあった柳の木は彼女を楽しませてくれる存在だったのだということが伝わった。

 彼女の口から、再び同様の言葉が出たとき、ふっと私は「そうだ、あなたの中に残っている思い出のその木を絵にして描くことができるよ」と、すぐさま彼女に話してみた。すぐに彼女は集中して描き始め、太い幹の樹で風に流れる葉っぱが表現された。

 こうした作業の中に、イメージの癒しが有り、表現することの神髄があると実感させられた場面だった。

2010.5.7 子どもべや伏尾台教室
理事長 小村チエ子

楽玉 苦玉 [ためになるお話]

4月23日のお話は、「楽玉苦玉」というお話。巌谷小波という人が書いた、古い創作童話です。

20100507_sazanami_book.JPGある大きな山のふもとの村に住む九郎兵衛という男が、仙人に会うつもりで山に分け入り、小人たちが不思議な歌を歌いながらせっせと作っていた「楽玉」と「苦玉」を手に入れます。村に持ち帰って売ると、みな面白がって買っていき、店は大繁盛。九郎兵衛いわく、「楽にまかせて、あまり楽玉をおもちゃにすると、しまいに苦の玉になる。苦の玉も、その苦を忍んで持っていれば、やがては楽玉に変わる」。
あるとき、青二(あおじ)と黄太郎(きたろう)という仲良しの少年がやってきて、二人とも同じ玉ではつまらないからと、青二は楽玉を、黄太郎は苦玉をそれぞれ買い求めます。二人が玉を持って歩いていくと、どこからともなく白い小人と黒い小人が現れて二人を先導し、やがて二人は別れ別れになります。
白い小人に先導され、楽玉を持った青二は、手のひらで玉をもてあそびながら、心も軽く身も軽く山を登っていきます。ところが油断して居眠りした青二は、ついうっかり楽玉を落としてしまいます。その隙に小人たちが現れ、不思議な歌を歌いながら玉のまわりで踊り出します。目を覚ました青二が驚いて見ると、玉は背負いきれないほど重く大きくなっていました。汗だくになりながら玉を転がし山道を行く青二は、あれほど軽かった楽玉が苦玉になってしまったことを知ります。
一方、黒い小人に先導され、苦玉を持った黄太郎は、ひどく足場の悪い坂道をうなりながら歩いていきます。行けば行くほど玉は重くなり、苦玉を買ったことを後悔しながらも、九郎兵衛の口上を思い出し、気を取り直しては坂道を登っていきます。平地へ来たと思いきや、玉はますます重くなり、持ちきれないほどに。そして、重さのあまり汗で手を滑らせた瞬間に、玉は谷底へ転がり落ちてしまいます。ゲンナリする黄太郎に、件の黒い小人が谷を見下ろしてしきりに手足を動かします。思い直した黄太郎は、「僕はあれを好んで買ったんだ。よし、この先どんなに重くても捨てないぞ」と決意します。しかし、苦労して谷を下りていくと、玉はものすごい大きさになっていました。とても背負いきれないので、半ばやけになって、小人につられ玉乗りをして踊っていると、あら不思議、大きくなった苦玉が宙に浮き、黄太郎を乗せて楽々空を飛んでいくではありませんか!
楽玉に変わった苦玉に運ばれて山頂に着いた黄太郎がふと麓を見下ろすと、今やすっかり苦玉となり果てた楽玉を転がしながら、急な坂道を上ってくる青二の姿が見えます。気の毒に思った黄太郎が坂を下りて手伝うと、玉は急に軽くなり、何の苦もなく頂にたどり着きました。

この話が収められている『小波童話名作集』は、昭和17年(1942年)初版の、古い古い本。手元にあるのは、昭和20年(1945年)12月発行の第4刷ですから、戦後間もなく出たものです。収録されているお話そのものは、さらに古く明治後半から昭和の初めまでに作られたものですから、子どもたちのひいおじいさん、ひいおばあさんの時代のもの。現代の子どもには少々抹香臭く感じる部分もあるかもしれませんが、子どもの頃に聞いたお話というものは、その時ピンとこなくても、ずっと後になって何かの拍子に思い出し、意味をかみしめることがあるものです。
一言でいえば、「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」というこのお話、「苦」を意識することの少ない今の時代、時には苦を忍んで物事をやりとおすことの意味を、子どもたちにも汲み取ってほしいと思い、少し長いのですが選びました。時が経過して初めて、また経験を積み重ねて初めてわかることが、人生にはあるものです。今だけを考えず、また、自分が選んだことに責任をもつということも含め、これから先の人生のどこかで、この日、ここで、この話を聞いたことを思い出し、その意味を実感してもらえたなら嬉しく思います。

20010.4.23子どもべや伏尾台教室

性は相近し 習うことは相遠し [ためになるお話]

「頭が悪いから勉強ができないのだと思っていませんか?」
「そうそう!その通りで~す!!」と子どもたち。

「本当にそうでしょうか。昔、孔子という人が『性は相近し 習うことは相遠し』ということを言っておられます。一人ひとりの能力にはさほどの差はないけれど、習慣を身につけられるかというところで違いが出てくる、という意味です。毎日続ける、ということが大きなポイントですよ。」

毎日毎日の積み重ねを大切に・・・分かっていてもなかなか続けられないものですね。よい習慣を身につける―指導者として子どもたちの手本となるよう、心がけています。

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ひまわりっぽくみえないひまわりを探そう

20010.4.16子どもべや伏尾台教室



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