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黄金刀も乞うてみよ [ためになるお話]

 黄金刀のような高価なものは、欲しいといったところで手に入らないだろうと、はなから諦めてしまう人が多い。しかし、物事の結果はやってみないとわからないもの。最初から諦めず、どんなものでも乞うてみることだ。

 この「黄金刀も乞うてみよ」のお話しは、いくらか子どもたちの関心を誘ったようだ。

 「お話しがイメージできますか?」と問いかけると、数人が黄金刀とは、キラキラした素敵な刀とか、高価な物と返事が来た。 言葉を記録するためにメモ用紙を取り出した子もいた。彼らにとって興味ある内容であれば、言葉の難しさや古臭さと関係なく聞いてくれると確信できたひとこま。

この日の教室活動では、水彩絵の具の使い方、特に水を多く含ませて描く淡彩の用法と塗り重ねをする場合との効果の違いを明確にしたかったが、公園にスケッチにでかけたこともあり、淡彩の説明と体験のみに終わった。

 今年の4月から、事務局が教室の応援に入ることになり、結果として絵画の指導者のみでなく、多様な意見が耳に入り担当者の私としては、新鮮な刺激を受けることが多い。
 
 さてこの日、子どもの描画から表現することの本質を実感する経験をしたので紹介したい。

0507K1S.JPG 教室近くの公園に子どもたちと、スケッチの場所を求めて出掛けた。するとブランコ後方の南西の角にあった大きな柳の木が切り株になっていた。
 「あれ、あの木がなくなっている、あの木は楽しかったのに、ブランコをしながら葉っぱをこんな風に触ってね、ああどうしたのかしら…」と一人が悲しみ嘆息するのだ。
 彼女の心に、この場所にあった柳の木は彼女を楽しませてくれる存在だったのだということが伝わった。

 彼女の口から、再び同様の言葉が出たとき、ふっと私は「そうだ、あなたの中に残っている思い出のその木を絵にして描くことができるよ」と、すぐさま彼女に話してみた。すぐに彼女は集中して描き始め、太い幹の樹で風に流れる葉っぱが表現された。

 こうした作業の中に、イメージの癒しが有り、表現することの神髄があると実感させられた場面だった。

2010.5.7 子どもべや伏尾台教室
理事長 小村チエ子

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