SSブログ

楽玉 苦玉 [ためになるお話]

4月23日のお話は、「楽玉苦玉」というお話。巌谷小波という人が書いた、古い創作童話です。

20100507_sazanami_book.JPGある大きな山のふもとの村に住む九郎兵衛という男が、仙人に会うつもりで山に分け入り、小人たちが不思議な歌を歌いながらせっせと作っていた「楽玉」と「苦玉」を手に入れます。村に持ち帰って売ると、みな面白がって買っていき、店は大繁盛。九郎兵衛いわく、「楽にまかせて、あまり楽玉をおもちゃにすると、しまいに苦の玉になる。苦の玉も、その苦を忍んで持っていれば、やがては楽玉に変わる」。
あるとき、青二(あおじ)と黄太郎(きたろう)という仲良しの少年がやってきて、二人とも同じ玉ではつまらないからと、青二は楽玉を、黄太郎は苦玉をそれぞれ買い求めます。二人が玉を持って歩いていくと、どこからともなく白い小人と黒い小人が現れて二人を先導し、やがて二人は別れ別れになります。
白い小人に先導され、楽玉を持った青二は、手のひらで玉をもてあそびながら、心も軽く身も軽く山を登っていきます。ところが油断して居眠りした青二は、ついうっかり楽玉を落としてしまいます。その隙に小人たちが現れ、不思議な歌を歌いながら玉のまわりで踊り出します。目を覚ました青二が驚いて見ると、玉は背負いきれないほど重く大きくなっていました。汗だくになりながら玉を転がし山道を行く青二は、あれほど軽かった楽玉が苦玉になってしまったことを知ります。
一方、黒い小人に先導され、苦玉を持った黄太郎は、ひどく足場の悪い坂道をうなりながら歩いていきます。行けば行くほど玉は重くなり、苦玉を買ったことを後悔しながらも、九郎兵衛の口上を思い出し、気を取り直しては坂道を登っていきます。平地へ来たと思いきや、玉はますます重くなり、持ちきれないほどに。そして、重さのあまり汗で手を滑らせた瞬間に、玉は谷底へ転がり落ちてしまいます。ゲンナリする黄太郎に、件の黒い小人が谷を見下ろしてしきりに手足を動かします。思い直した黄太郎は、「僕はあれを好んで買ったんだ。よし、この先どんなに重くても捨てないぞ」と決意します。しかし、苦労して谷を下りていくと、玉はものすごい大きさになっていました。とても背負いきれないので、半ばやけになって、小人につられ玉乗りをして踊っていると、あら不思議、大きくなった苦玉が宙に浮き、黄太郎を乗せて楽々空を飛んでいくではありませんか!
楽玉に変わった苦玉に運ばれて山頂に着いた黄太郎がふと麓を見下ろすと、今やすっかり苦玉となり果てた楽玉を転がしながら、急な坂道を上ってくる青二の姿が見えます。気の毒に思った黄太郎が坂を下りて手伝うと、玉は急に軽くなり、何の苦もなく頂にたどり着きました。

この話が収められている『小波童話名作集』は、昭和17年(1942年)初版の、古い古い本。手元にあるのは、昭和20年(1945年)12月発行の第4刷ですから、戦後間もなく出たものです。収録されているお話そのものは、さらに古く明治後半から昭和の初めまでに作られたものですから、子どもたちのひいおじいさん、ひいおばあさんの時代のもの。現代の子どもには少々抹香臭く感じる部分もあるかもしれませんが、子どもの頃に聞いたお話というものは、その時ピンとこなくても、ずっと後になって何かの拍子に思い出し、意味をかみしめることがあるものです。
一言でいえば、「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」というこのお話、「苦」を意識することの少ない今の時代、時には苦を忍んで物事をやりとおすことの意味を、子どもたちにも汲み取ってほしいと思い、少し長いのですが選びました。時が経過して初めて、また経験を積み重ねて初めてわかることが、人生にはあるものです。今だけを考えず、また、自分が選んだことに責任をもつということも含め、これから先の人生のどこかで、この日、ここで、この話を聞いたことを思い出し、その意味を実感してもらえたなら嬉しく思います。

20010.4.23子どもべや伏尾台教室
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。